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2016年7月〜12月まで、琉球新報連載エッセイ「落ち穂」にて、
当店のM子店長こと砂川真樹子が執筆しました。
第5回目は2016年8月25(木)日掲載。

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まてぃだの母

私の母は、座間味島の生まれだ。宮古島へ嫁いで40年余になる。今では子どものいる宮古島が故郷だと話す。父の他界後は、父から受け継いだ石庭で愛猫と趣味のガーデニングを楽しんでいる。明るい母の笑顔は、まるで空に咲くまてぃだ(太陽)のひまわりのよう。いつでも、家族を暖かく迎え照らしてくれる。
座間味島は、30の小さな島々からなる慶良間諸島の一つ。那覇泊港から高速船で50分ほどだ。ザトウクジラが回遊し、珊瑚(さんご)礁の海域はラムサール条約に登録された、世界でも指折りの美しさでダイバーを魅了する。子どもの頃は、同年代の従兄弟(いとこ)も多く親族間の冠婚行事もあり、来島する機会が度々あった。初めて船酔いを経験したのもその頃。
次第に島から遠のき、那覇で暮らし始めた20代初め、ふと思い立ち島へ行く事になった。母の生家を訪ねると、祖父と祖母が驚いた顔で出迎えた。二人を見て私は涙が溢(あふ)れてしまった。沖縄戦でアメリカ軍が最初に上陸し激戦地だった座間味島。戦時中、親兄弟を亡くし一人ぼっちになった祖母。「おじい、おばあ」と声をかけながら玄関に入ると二人だけの家の中で、祖母は祖父にぴたり寄り添うように座っていた。
沖縄の昔ながらの家の造りは変わらず、門にはヒンプンがあり、一番座に続く二番座には仏壇、三番座、奥には裏座があり、土間の台所もそのまま。夏休み、島の浜で泳ぎ疲れて帰ってくると、島料理を作る祖母や母、叔母のにぎやかな会話と料理のいい香りが立ち込めていた。思い出がよみがえる中、祖母は島の方言で何かを話しながら私の手を握り締めていた。祖母の笑う顔は、母にそっくりだ。
私は、島の海辺を巡った。ある浜で、草むらから猫の群れが一斉に鳴きながら近寄ってきた。一瞬、ギョッとしたが、立ち止まって愛らしく鳴くので「待ってたよー、待ってたよー」の大合唱に聴こえた。生まれ島で、たくましく生きてきた祖母。祖母が繋いだ命は母に繋がれ、私にもその血が流れている。いつか、私も命を繋ぐ母になる。まてぃだのような島の母に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【執筆者プロフィール】

砂川 真樹子(すながわ・まきこ)
1979年宮古島生まれ。
新聞記者をした後、島を離れ、雑誌ライターなどを経験。
宮古島市公設市場で夫婦で「385じま△ストア」を経営。

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