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2016年7月〜12月まで、琉球新報連載エッセイ「落ち穂」にて、
当店のM子店長こと砂川真樹子が執筆しました。
第2回目は7月14日(木)掲載。

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人々の果実

夏のフルーツの女王といえば、マンゴー。県内では収穫と出荷の最盛期を迎えている。
経営する島のパーラーでは、完熟のマンゴーに丸ごとかぶりつけるメニューや即席で作る生マンゴージュースが観光客に好評だ。店に箱詰めのマンゴーがどっと届くと、甘い香りがほのかに漂い南国ムードいっぱいだ。
宮古島における今年の生産見込み量は、昨年と比べ4割減の454トン。昨年の長雨、日照不足、寒暖差の影響が重なり生育に好ましくない環境が続いた。1988年から続いていた島を挙げての「マンゴーまつり」も中止になった。だが、生産量は通年通りの農家もいるというから、一概に気候の影響が要因ではないらしい。
宮古島に台湾から導入したアーウィン種のマンゴーが農作物として本格的に普及したのが30年前。昭和後期には、一部の島の人たちが苗木を持ち込み、ハウスを組み立てて栽培に取り組んでいたという。酸性土壌を好むマンゴーは、島のサンゴ石灰岩性のアルカリ土壌には適さず、弱アルカリの土壌を選び植栽していった。2004年からは市が補助事業を取り入れ、移住農業者も含め約200名の生産者までになった。今ではネット販売やJAなどの直売所があるが当時は、中央地方の卸売市場を介さず、農園直送の口コミで勝負。農家自ら足で歩き、売り込む地道な営業活動があった。
数年前から種類も増え、台湾産の玉文、金煌、夏小紅、レッドキーツなど島の市場は百花繚乱(りょうらん)になりつつある。百年前、原産国のインドや東南アジアから米フロリダ州に渡ったマンゴーは、商業的に普及し、品種改良と共に世界中で300種に及ぶ。
サンスクリット語で、マンゴーのことを「amra」といい、「人々の」を意味している。栄養価の高いマンゴーが貴重な食資源のほか人々の文化、人生、宗教と強く結びついているということであり、マンゴーは人々の生活に不可欠であるという。エキゾチックな美しさと味は、「人々の果実」として4千年の時を経ても今なお、魅了し続けている。

【執筆者プロフィール】
砂川 真樹子(すながわ・まきこ)
1979年宮古島生まれ。
新聞記者をした後、島を離れ、雑誌ライターなどを経験。
宮古島市公設市場で夫婦で「385じま△ストア」を経営。

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《ネットショップはこちらから》

385じま△楽天市場店
⇒ http://www.rakuten.co.jp/385store/

385じま△公設市場本店(ストア)
⇒ http://385store.com

 

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